無事にお戻りになった仏様たち
企画した展覧会で一番安堵するのがお借りした作品を全て無事に所蔵者にお返しできた時です。2024年4月12日に山口県立美術館で開幕し、MIHO MUSEUM(滋賀県)、そして山梨県立博物館で11月25日に閉幕。それから2週間かけてお寺さんや博物館、美術館に無事ご返却を終えたことで一段落します。自然災害にも事故にも合わずに無事に仏様たちとの長旅を終え、それぞれのお寺にお戻りいただいて展覧会は終了となりました。ご返却時に「また、こうした企画をやってくださいね」と言っていただいたりして、やった甲斐がありました。
振り返る~本展の経緯
この展覧会は、大正8年に出版されて以来、数多くの人が奈良旅のバイブルにした和辻哲郎の著書「古寺巡礼」の出版100年記念の2019年に開催しようと、その2年前(2017年)に考えた企画です。発端は美術出版を手掛ける会社の仕事仲間が「自分の恩師が仏像専門家なので、その先生に相談できるから、やらないか」というものでした。いつか仏教関連の展覧会をやってみたいと思っていた私には朗報でした。根が楽観主義なので、仏像展の特殊な難しさなどもさほど考えずに、その先生~関根俊一先生(現:帝塚山大学客員教授)にお願いしてチャレンジしようと思ったのでした。
コンセプトを決める
久しぶりに和辻哲郎著「古寺巡礼」を読み、亀井勝一郎著「大和古寺風物詩」も読み返しました。
展覧会のコンセプトを「展覧会会場で、まるで奈良の古寺を巡礼している気持ちになるような展覧会」ということにしました。それをもって関根先生(当時:奈良大教授)に監修のお願いに出かけ、受けていただきました。今から8年も前のことでした。
先生からの提案は仏像写真(土門拳や入江泰吉などによる)を中心として、和辻の本に出てくるお寺へ依頼し仏像10体程度の展覧会~「新しい仏像展」にしてはどうかとのことでした。早速、企画書をつくって開催場所を探し始めました(セールス)。ところがなかなか、趣旨に賛同してくれる美術館、博物館が見つからないのです。1年たち、2年たち・・先生に会わせる顔がない状況が続きます。何故なんだろう?自問してみました。
そうか!これまで手掛けた企画展は、スタートで必ずパートナーの美術館がいたのに今回はパートナーがいないなと気づいたのです。これはまず、パートナーの美術館を探すのが先決だというのが出した答えです。いわゆる「幹事館」を探すことが先決だと。しかし、この「幹事館」探しもなかなか上手くいきません。
実現に向けて
そうしているうちに中国発の新型コロナウイルス感染が世界を席巻し始めたのです。2020年です。和辻の「古寺巡礼」出版100年も過ぎていました。忘れかけていたこの企画展、縁は異なものです。仏像を専門とする旧知の学芸員が奈良出身と分かり、彼を口説きました。彼が取り組もう!と言ってくれたのです。実に久しぶりに彼とともに奈良へ関根先生を訪ねました。2021年秋のことでした。思い付きから4年がたち、ようやく動き始めたのです。
出陳交渉始まる 開催館も決まっていく
2022年になりました。展覧会のコンセプトは「展覧会会場で、まるで奈良の古寺を巡礼している気持ちになるような」そして「奈良へ行ってみよう」です。開催を2024年とし、展覧会会場を探しつつ(セールスです)、正式に出陳交渉を始めました。京の都の南方に位置する旧都奈良を「南都」と言います。(奈良には「南都銀行」があります。)奈良時代に平城宮及びその周辺にあり宮廷の保護を受けた7つの官寺~大きなお寺を「南都七大寺」と言います。東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺です。まずは七大寺から交渉を始めます。監修の先生に動いていただく前に、旧知の学芸員と前さばきの意味で、お寺さんに直接連絡をとり交渉に入ります。展覧会の柱、ベースづくりです。門前払いのお寺さんもありました。何せ、「初めまして」ですから。奈良から遠い福岡の会社でもあり、これまで奈良のお寺さんとのつながりもありませんから。
先生が定年で退官され(客員教授に)、2022年春頃から、ご一緒に動けるようになります。この頃には開催館が内定していきます。当初、写真中心だったはずの内容が、欲も出てきて交渉ターゲットのお寺さんも増えていきます。これは仏像が増えていくことを意味します。交渉の範囲がどんどん広がっていきます。先生がよくご存じのお寺さんに足を運ぶようになります。あのお寺にはいい仏様が、あのお寺は紹介しないと、古寺巡礼と言うならもう少し足を延ばさねば・・・ということで結局15のお寺様(そのほかいくつかの美術館からも)からお借りすることになった次第です。当初の規模をはるかに超える大きな展覧会になってきました。
監修者の存在意味と、そのお力を痛感
出陳交渉の過程で監修の先生のお力に助けられ、展覧会の質が高まっていったのは有難いことでした。法隆寺では、国宝、重要文化財を含むお願いしたすべての許可が出ました。また薬師寺では当初、些か遠慮気味にお願いしたリストに対して、先生の監修の展覧会なのに、これではいけませんよね、と「国宝:聖観音菩薩立像」のお出ましをはじめ貴重な仏様のご出陳を言って頂きました。驚きでした。和辻が著書「古寺巡礼」で絶賛した仏様が、この聖観音菩薩立像なのです。
今回の企画展ほど監修の先生のお力を思い知ったことはありません。もともと奈良国立博物館に勤務され、その後、奈良の大学で長く教鞭をとられた仏教美術のご専門です。奈良のお寺さんはこうした先生や奈良国立博物館などとの関係が密接であることも実感しました。
2022年には開催館も3つが決まり、内容も1年前の2023年春には8割くらいが固まっていました。奈良の風景や仏像の写真は奈良市入江泰吉記念写真美術館の絶大な協力をいただくことになり、入江作品をも展示することができるようになりました。
開催の半年前2023年秋には仏像、仏教工芸美術品、絵画など計64件と入江泰吉の写真のほぼ全ての出陳が決定しました。当初の思いを遥かに超えた大規模な展覧会になったのでした。このあとはいつもの様に展覧会図録製作、展示プラン作成、お借りするスケジュール調整など展覧会開幕に向けて業務推進していき、無事展覧会は幕を開けたのでした。本展を観て奈良に行きたくなったという山口からの女性3人が唐招提寺にいらっしゃったという話しを耳にした時も嬉しかったですね。
最後に
この企画展のおかげで、2年間よく奈良に通いました。日本の国家の礎をつくったこの土地の歴史、風景などに魅了された私はすっかり京都派から奈良派に変わりました。もっと多くの人に奈良の魅力を伝えたい。奈良の奥深さに、まだまだ嵌っていきそうです。そうしたなか来年の世界遺産への登録を目指して政府が飛鳥時代の遺跡「飛鳥・藤原の宮都」をユネスコに推薦することになったというニュースが流れてきました。
日本で最初に世界遺産になった「法隆寺(地域の仏教建造物)」、続いて世界遺産になった「古都奈良の文化財(東大寺、興福寺、春日大社、春日山原始林、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡)」や「紀伊山地の霊場と参詣道」に続く奈良の4つ目の世界遺産認定の実現を応援したいと思っています。
【資料】本展ご出陳いただいたお寺様(順不同)
法隆寺、法起寺、霊山寺、薬師寺、唐招提寺、大安寺、西大寺、法華寺、東大寺、法徳寺、新薬師寺、南明寺、長谷寺、岡寺、當麻寺
【参考】寺社仏閣 - 奈良寺社ガイド
【参考】山の辺の道
日本の国家が成立する以前、古墳時代の4世紀には整備されていたと言われる日本最古の道。奈良盆地の東南にある三輪山の麓(桜井市)から石上神宮のある天理を通り東北部の春日山の麓(奈良市)まで、奈良盆地の東、春日断層崖下を山々の裾を縫うように南北に走る古道。奈良時代の平城宮成立以前の古代国家の都、飛鳥宮や藤原宮は今の奈良市からは南東部にあった。山の辺の道はそうした場所から北へ伸びる。
今は桜井市~天理市の南コース(約16キロ)と天理市~奈良市の北コース(約20キロ)に分けられているようだ。まわりには多くの古墳や由緒ある神社、歴史的旧跡が点在し、大勢の人たちが古の都を偲びながら健脚を試している。
「古事記」や「日本書紀」にも出てくる日本最古の道「山辺の道」で(桜井市~天理市)
柿の向こうに二上山(左)、大国主命を祀る大神神社(中)、こんもりした森は崇神天皇陵(右)
筆者:のぎめてんもく