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「奈良大和路のみほとけ~令和古寺巡礼展」開幕と「法華寺」

TNCプロジェクトが企画する標記展覧会が4月12日に山口県立美術館で開幕しました(6月9日まで)。開会式には東大寺の橋村別當、薬師寺の加藤管主ほか法隆寺、唐招提寺、西大寺からもご参加を頂きました。(山口のあとは滋賀県MIHO MUSEUM、山梨県立博物館に巡回します。)

法華寺の歴史

今回は貴重な宝物をご出陳いただいている素敵なお寺、法華寺をご紹介します。

奈良時代の都、平城宮の一角だった場所にある法華寺。法華寺のある場所はもともと藤原不比等の娘、光明皇后の住まいでした。放送中の大河ドラマ「光る君へ」に登場する藤原氏は平安貴族ですが、その藤原氏繁栄の礎を築いたのが飛鳥時代から奈良時代に生きた藤原不比等でした。不比等没後にその広大な邸宅に住んでいたのは、不比等の娘で聖武天皇の后、光明皇后でした。

聖武天皇は天平13年(741)に全国各地に国分寺(今も全国にこの地名がありますね)、国分尼寺建立を宣言しました。東大寺(大仏様のお寺)を国分寺のいわばトップである総国分寺とし、光明皇后の皇后宮を総国分尼寺とし法華寺(正式には法華滅罪之寺)を建立したという訳です。東大寺と並ぶ由緒ある大寺院でした。

天平時代は疫病や飢饉で庶民は困難な暮らしを強いられていました。光明皇后は今でいう社会福祉の先駆者として、貧しい民や孤児を救済するための「悲田院(ひでんいん)」や今でいう病院施設、「施薬院(せやくいん)」をつくり、自らも看病にあたったと伝えられています。

境内に入ると

そんな光明皇后をイメージして訪れる法華寺。尼寺です。中宮寺や円照寺とともに大和の尼寺三門跡寺院です。門跡とは皇族や公家が住職を務める寺院、あるいは住職のことです。歴代天皇皇后もお参りされるお寺です。現在、法華寺は初の一般からのご出身、樋口教香住職と若い尼僧のお二人です。お二人で寺をお守りするのも大変だと樋口住職は仰っていました。「求む尼僧!」でしょうか。

かつての大寺院も今は簡素ながら美しく整備され、品格があり、境内に入ると清廉な空気を感じます。豊臣秀頼(秀吉の子)とその母、淀殿(秀吉側室)によって再建された本堂には、多くの仏様がいらっしゃいます。春と秋だけ公開の秘仏「国宝 十一面観音像」を目当てに出かけたこともあります。美しいお姿だったと言われる光明皇后を模したともいわれます。右足は一歩前に。民を救わんと前に踏み出そうとするお姿です。

今回、展覧会でお借りしている「文殊菩薩騎獅像」は奈良県指定文化財。本展監修の関根俊一先生曰く、奈良県の指定はレベルが高く、重要文化財にも匹敵するものが多いとのこと。この仏様も然りとか。お顔は凛々しく愛らしい仏様です。

展覧会のために仏像は写真(下)のように丁寧に梱包。坐像はL字型の木枠に入れ、箱に納め運びます。この仏様の内部には舎利容器や巻物など180点ほどが収められているのがX線CTスキャナで判明しました。 仏像の内部に納められた舎利や経典などを「胎内施入品」と言い、奈良時代に仏舎利(入滅した釈迦が荼毘に付された際の遺骨)を施入した例に始まるようです。

法華寺界隈散策~佐保、佐紀路

東大寺の転害門(てがいもん)から西に続く一条通周辺は佐保路、さらに法華寺や近くの海龍王寺から西に平城宮跡を経て秋篠寺、西大寺に至るエリアを佐紀路といい聖武天皇陵や神功皇后陵、磐之媛命陵など多くの皇后たちのお墓や佐紀楯列(たてなみ)古墳群があります。

法華寺はかつて平城宮の一角にありましたが、今では畑や農家もある長閑な住宅街です。法華寺を訪ねた後は、平城宮跡や古の天皇、皇后陵のある佐保、佐紀路を散策。1300年以上も前の都の壮大さを感じながら、また一層、奥深い奈良に魅せられます。

大和西大寺駅と近鉄奈良駅の中間、新大宮で一杯

はるか古の都を散策したあとは、お酒発祥の地、奈良で乾杯。美味しい料理とお酒を出していただけるお店を発見。近鉄の新大宮駅から住宅街を歩くこと10分。「萬屋料理店」です。寡黙な大将、岡田好浩さんと奥さんの二人で切り盛りするカウンターだけの店です。海老芋のてんぷらは絶品、ほかに阿波尾鶏塩焼、合鴨ロースなどなど料理は何を頼んでも美味し。奈良の酒「櫛羅」「春鹿」「梅の宿」はじめ全国の銘酒が揃っています。奈良に行ったら寄ってみたいお店のひとつです。萬屋料理店(奈良市大宮町2-4-10、電話0742-34-4887)

筆者:のぎめてんもく

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