4年ぶりに「モーターショー」が「福岡モビリティショー」に名前を変えて帰ってきました。第1回目に携わった筆者が背景を振り返っています。その最終回です。
そして直前に「難題」が浮上してきたのです。出展社間での規則というものがあります。モーターショーの「レギュレーション」というものです。各ブースの壁や照明の高さなどを決める運営規則です。このレギュレーションをめぐって隣同士のメーカー間で事前の図面上で解決しない問題が出てきました。その詳細は省略しますが、直前の「大阪モーターショー」会場で2社間の調整に出かけます。しかし決着しないまま福岡のショーへ突入しました。大阪へは日帰りのつもりが解決せず、翌日も交渉となり宿泊せざるを得ませんでした。コンビニに替えの下着を買いに行ったという寂しい思い出は忘れもしません(泣)。
12月:開催4日前の12月3日に事務局を会場に移しました。4日から会場設営開始。現場は徹夜作業です。開催前日にはテレビ東京がニュース番組「WBSワールドビジネスサテライト」を会場から生中継です。キャスターは小谷真央さんです。盛り上がっていきますが、あの2社の問題は解決しないまま。更には皆さん来てくれるのかどうか?いや、来てくれたら来てくれたで大混乱しないか?当時の日記に「晴れ舞台か、はたまた処刑台か」と書いていました。
12月7日、晴れやかに開幕。共催団体のトップが誇らしくテープカットします。福岡県警はヘリコプターを飛ばして上空から交通混雑のチェックをしていました。お天気に恵まれました。初のモーターショーに多くの方々が来てくれます。会場混雑を避けるべくゆっくりと入場していただいたために500mほど離れたベイサイドプレイスまで大行列です。初のモーターショーは初日、二日目と順調な来場者ですが、嬉しさも半ば。あの問題が解決できないままです。三日目は日曜日。これまでで最高の入場者です。トラブルの被害を申し立てているメーカーの宣伝責任者が会場入りとのことで事務局長として解決できなかったお詫びに重い足取りで出向きました。宣伝責任者から「これだけの入場者が来てくれているのだから」と、言っていただき、あっけなく解決したのでした。力が抜けました。
12月の4日間、寒くもなくお天気に恵まれました。会場運営も大きなトラブルなく目標の10万人を超え11万人の来場者でした。終わりました!感激、感動など微塵もなく、疲れ果て安堵と脱力感でした。福岡県からの2名にわが社のコアメンバー2名と私。5名で乗り越えました。今でも彼らは戦友です。スマートとは程遠い、右往左往の準備と実施でした。でも実に運が良かった、運に恵まれた。
閉幕2日後、感慨にふける暇もなく御礼報告のために広島、大阪、浜松、東京へ。私にとっての修羅場を経験した貴重な仕事でした。多くの皆さんへの感謝は密かな財産になりました。
敬愛する中村天風先生の言葉に「船に乗っても、波が出やしないか、嵐になりはしないか、船は沈んだりしないか、と考えてばかりいたら、船旅の良さ、快適さは何もあるまい。人生もまたしかり」。社会性や面白さを感じたら船出してしまいます。経験してこそ航海術も学べるのだと今も思っています。
4年ぶりの「福岡モビリティショー」はまもなく開幕です。あの頃と車を取り巻く環境は大きく変わりました。担当者たちチームは新しい企画で成功に向け、がむしゃらに毎日、準備をしているのでしょう。
福岡モビリティショー2023【公式サイト】 | https://www.fukuoka-mobilityshow.jp/ |
写真提供:一般社団法人福岡コンベンションビューロー
筆者:のぎめてんもく
「福岡自動車博覧会 福岡モーターショー2007」の概要
国内外に自動車の生産地「北部九州」をアピール。初の「福岡自動車博覧会 福岡モーターショー2007」は12月7日から10日まで、マリンメッセ福岡、福岡国際会議場、福岡国際センター、福岡サンパレスの4会場をパビリオンに見立てて開催しました。
福岡国際センター会場は「カーライフパビリオン」。ホンダ、ヤマハ、カワサキなどの国内バイクメーカーのコンセプトカー、最新型市販車など約50台のほか、「カーデザインの世界」と題し、フェラーリ、マセラティ、アルファロメオなどを始めとするイタリア車約10台も展示。