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「福岡モーターショー企画の裏側 (中)」

4年ぶりに「モーターショー」が「福岡モビリティショー」に名前を変えて帰ってきました。第1回目に携わった筆者が背景を振り返っています。その第2回目。

2007年~年が明けました。いよいよ初の「福岡モーターショー」の年です。福岡県とは緊密に連絡を取り合っていました。今は商工部内に「自動車産業振興室」がありますが、当時の窓口は「企業立地課」でした。そんな福岡県と一気に距離が縮まったのが2007年1月に九州国立博物館(九博)で開催した「クルマの歴史と未来展」でした。

2006年に「北部九州自動車生産100万台突破」記念でイベントができないだろうか、との県との協議から時間がない中、企画したのです。当時の九博の三輪館長は時々、私に「博物館はクルマを並べてもいいんだよ。欧州ではそんな博物館があるよ」・・確かに!私は1991年に3か月半、会社の研修でヨーロッパに滞在していた時、特に英国で車や鉄道の博物館をいくつかみていましたので、納得の三輪館長発言でした。で、九博での開催となったのです。

九博1階に九州に工場のある自動車メーカーからの出展、福岡市博物館所蔵の日本で現存最古の自動車「アロー号」や大学が作った試作車などを並べました。折しも同館では6週間で30万人の入場者で大成功した「伊藤若冲展」を主催していましたから、1階の自動車展示には2週間で10万人が訪れたのです。当時の麻生知事もこの企画を大絶賛でした。

「福岡モーターショー」も年明けには国内メーカー7社の出展が決まり、残すは1社のみとなっていました。まだ意気揚揚と立ち向かっていました。このあとは時系列で追っていきましょう。

3月:「東京モーターショー」の主催者である自動車業界団体、日本自動車工業会(自工会)のビルでメーカーへの最初の説明会が開かれました。この頃にはバイクメーカーや海外メーカー(日本での総代理店による)の出展も決まってきていました。

5月:事務所開きをしました。福岡県庁から2名の職員が新聞社へ通い始めます。異文化の人たちとのコラボレーションに緊張感が生まれてきます。

6月:開催半年前になります。ほぼコンテンツが固まったことでほっとひと安心。これまでの現場責任者の企画委員会から、実行委員会設立のための準備委員会に格上げして開催。大勢の人たちの目がまわりにあることを実感し、責任の大きさを知らされていきます。

7月:約30社の地元の企業、団体、自治体、大学、マスコミによる実行委員会を開催(勿論、各方面には事前に出向き丁寧に説明の上です)事務局長として進行した実行委員会が無事に済み、私は事務局長として初めての記者発表に臨みました。新聞社編集局や全社部長会で概要を説明し全社協力を求めます。自工会では2回目のメーカー出展社説明会が開催されますが、残る1社からの返事はまだありません。まあ、出ないなら出ないでもいいと腹をくくりました。

8月:自工会でバイクメーカーへの説明会開催が開かれました。

9月:コンテンツが固まったら今度はプロモーションや現場運営を固めなければいけません。
宣伝計画、動員計画を立て、前売り券販売で企業、団体を訪問します。創刊130年事業はほかにもあり九博での「本願寺展」、アジア美術館での「絵本ミュージアム」なども横目で見ていきます。部員たちは悲鳴を上げながら業務に邁進していました。因みに「本願寺展」も「絵本ミュージアム」も当初予定を上回る入場者で大成功。

10月:福岡の開催会場であるマリンメッセでメーカー説明会を行いました。ここに残る1社が参加!国内乗用車メーカー8社すべて出展となりました。嬉しかったですね。
26日からは「東京モーターショー(幕張メッセ)」が開幕。キラキラとして華やかで広大な会場で各社のご担当にもご挨拶して回ります。私たちの本番も近づいているなと、心臓の鼓動が早くなっていきます。事務局体制を強化し常駐8人になりました。いよいよ会場運営も大きなテーマになってきます。全社局長会で説明と券売協力、広報協力を切にお願いします。「目玉は何だ!10万人も入るのか!」評論家のような発言も飛び出し、情けない気持ちにもなったものです。

11月:いよいよ残すところひと月。一日の反省と明日の業務確認の夜会議が定番化します。私は23時退社。事務局員は午前零時を過ぎる頃に帰宅という今でいうブラックな仕事でした。時には日付変更線を超えた頃、会社を出て屋台で疲れを癒す会議もします(笑)。目標は10万人!ところがプレイガイドの前売券販売状況は3,000枚。外野席が一層うるさくなってきます。更に各方面にチケット販売の協力を強化していきます。1社で数千枚売ってくれるところも。某私鉄さん、某メーカーさん、某電力さん、某ガスさん、某銀行さん。皆さん地域の事業だということで協力いただけるのです。あらためてこの仕事の意味をかみしめます。
事務局のメンバーは皆モチベーション高く、懸命に仕事をしていました。仕事の意味を共有し、同じ目標に向かっていたからです。

下旬の「名古屋モーターショー」を視察する頃には会場運営の詰めが必要になってきます。警備の話が出てきます。警察です。交通課と雑踏整理の部署と。警察との会議も行われ、絶対に交通渋滞を起こすな!公共交通機関の使用を大々的にPRするように。会場が大混乱にならないように!会場警備体制打ち合わせが何度も続きます。これは来場者が思いのほか来てくれた場合の嬉しい悲鳴の話ですが、一方で、もし来場者が目標以下だった場合はどうなるのか?大赤字を出したらどうするか?会社のメンツはどうなるのか?段々、精神的にも追い詰められ体調がおかしくなってきます。

気分転換は夜の会議前にジムへ行ったり、自己流の座禅をやったりして心身を落ち着かせることでした。この頃からPRのためにテレビ局やラジオ局まわりをし、時には出演してPRにも努めます。

開幕までカウントダウンが始まろうという頃に「難題」が浮上してきたのです。(つづく)

【参考】
福岡モビリティショー2023【公式サイト】  https://www.fukuoka-mobilityshow.jp/

写真提供:一般社団法人福岡コンベンションビューロー
筆者:のぎめてんもく

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