いざいざ奈良!今、展覧会「奈良大和路のみほとけ~令和古寺巡礼(仮称)」を創っています。今回は本展でもご協力いただいている西ノ京にある薬師寺のお話しです。
薬師寺は皇后鵜野讃良(うののさらさ/のちの持統天皇)の病が治りますようにとの祈願のため、藤原京(現:奈良県橿原市)で天武天皇が発願したお寺です。奥様のためにお寺を建てよう!なのですね。698年に伽藍もほぼ、ととのったようですが、710年に平城京に都が移され奈良時代が始まると718年に現在の地(西ノ京)へ移されました。大安寺、元興寺、興福寺と並んで四大寺といわれた大寺です(のちの平安時代には東大寺、法隆寺、西大寺を加え南都七大寺といわれるようになる)。1300年も昔からある由緒ある古寺です。
お写経で再建した薬師寺
大仏様の東大寺や阿修羅像の興福寺など奈良観光の中心に近い近鉄奈良駅から電車に乗って大和西大寺駅経由で15分ほどの「西ノ京」という駅へ。駅を降りると薬師寺はそこです。東西ふたつの三重塔は古都奈良の旅情を掻き立てます。この薬師寺が凄いのは金堂、さらには西塔、大講堂、食堂(じきどう)と白鳳伽藍の再建を企業や団体の寄付ではなく一般の人たちにお写経してもらい、その納経料(お写経勧進)で再建を果たしたことです。
その発案者が同寺の管主だった高田好胤さん(1924~1998年)でした。奈良の古いお寺はもともと天皇家や貴族のお寺だったこともあり、檀家さんがいません。「ひとりでも多くの心の救いがこもらなければ。仏様はけっして喜んではくださらない」~高田管主はお写経勧進を通して日本中の一般の人たちから広く浄財を募り、何と数億円以上の再建費用をまかなったのです。今も薬師寺と同寺東京別院ではお写経道場が開かれ、多くの人たちが訪れています。高田管主は「物で栄えて心で滅ぶ。これが今の日本の姿」と嘆きながら「心」の意味、大切さをメディアや直接の法話で訴え続けました。
よっぽどのご縁ですね
高田好胤さんはよくテレビにも出ていました。お話の上手なお坊さんでした。薬師寺は今も多くの修学旅行生がやってきます。ここの講堂でお坊さんが学生たちにお話をします。上手じゃないと学生たちは聞いてくれませんから、皆さんお稽古をするのでしょうね。修学旅行生に奈良の思い出は?と聞いたら「大仏さんと鹿と薬師寺のお坊さん」と答えたそうです(笑)。大谷徹奘さんというとてもお話の上手なお坊さんがいらっしゃいます。高田好胤さんに憧れて、弟子になろうと17歳の時に東京から弟子入りしたそうです。高田師匠の教えのもと、日本全国で法話を続けています。徹奘さんのいい言葉が「よっぽどのご縁」です。お経の中にある「歓宿縁」~「宿っているご縁を、いただいているご縁を歓びなさい」ということを徹奘さんは「よっぽどのご縁」と言います。私も今の展覧会企画を通して徹奘さんとご縁ができているのですが「よっぽどのご縁」だと思うのです。私が懇意のイベント会社社長のお兄さんで、著名な人形師ホリヒロシさんが徹奘さんと繋がっていたのです。
薬師寺は法相宗のお寺です。法相宗の宗祖慈恩大師の師匠・玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師ですね)を顕彰する三蔵会が5月5日に行われています。来年からこの法要がホリヒロシさんによる人形舞踊で行われることになりました。とても楽しみです。
ファッショナブルな仏様
薬師寺で私が一番好きな仏様が白鳳の貴公子「聖観音菩薩立像(国宝)」です。「古寺巡礼」の著作で奈良の古寺巡りのブームのきっかけとなった和辻哲郎は、聖林寺の十一面観音菩薩とこの仏様を大絶賛しました。「ファッショナブルな像」と言ったのは作家の五木寛之さんです。私も何度かこの貴公子に向き合いました。こんなにもファッショナブルで美しくセクシーな仏様をつくった1300年も前の仏師にも思いを馳せます。薬師寺はご本尊の薬師如来坐像はじめ多くの白鳳時代の国宝と巡り合うことができます。
再建された絢爛たる薬師寺にお参りした後は、鑑真和上で有名な唐招提寺へ。薬師寺から北へ500ⅿほどです。厳かな佇まいの唐招提寺にもお参りしてみましょう。和上は日本へ仏法を伝えようと唐(中国)から5回の渡航失敗のあと11年後、6回目にようやく日本にたどり着いた時には66歳を数えていました。目の光を失っていたとも言われています。松尾芭蕉が和上を偲んで詠んだ「若葉して御目(おんめ)の雫拭(しずくぬぐ)わばや」の句碑が寺内に建てられています。
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筆者:のぎめてんもく